もともと日本にもクレジットカードの決済のような、月賦支払いや割賦支払いでの商品の購入形式はありました。しかしながら、1950年にアメリカで生まれた「クレジット」という言葉自体は日本にはすぐには導入されませんでした。
1950年にアメリカのダイナースが「クレジット」という言葉を用いて以来、10年遅れて1960年に株式会社丸井が日本に「クレジット」という言葉を取り入れて商品展開をしました。
丸井が日本で初めて割賦支払いをクレジットという名前にしたのです。丸井が発行したクレジットカードは、実は現在繰り返し使えるクレジットカードとは異なり、使用は一回限りのものでした。この時点ではこのクレジットカードは現在のようなプラスチックカードでもなく、磁気ストライプも入っていない紙でした。丸井が発行したクレジット・カード、クレジット・プレートは現在のように「割賦支払いをするためのカード」というよりは、お得意様への特別な割賦払い用の会員証のような扱いでした。
このため、クレジット・プレートを持っていることはすなわち丸井の上顧客ということになるため、当時のエリートやスマートといったステータス意識の強い若年層に人気があったようです。丸井が1960年に日本に「クレジット」という言葉を導入した同じ年に日本ダイナースクラブは設立されました。日本ダイナースクラブは富士銀行(現在のみずほコーポレート銀行)と日本交通公社(現在のJTB)が共同で設立した、日本では初めてクレジットカードを専門に取り扱う企業です。
丸井のように自社の商品の購入のための割賦販売というのが大前提だった当時の日本には画期的なことでした。クレジットカード専門の企業であることと、厳密には現行のクレジットカードのシステムとは異なる丸井のクレジット・カードの性質も加味して、日本で初のクレジットカード会社は、日本ダイナースクラブであるとする場合もあります。
丸井が提供したクレジット・カード、クレジット・プレートは実は紙でした。日本だけがそうなのかといえばそうではなく、実は世界的にクレジットカードは全て紙製というのが基本でした。今見るようなプラスチックのカードはなく、どちらかというとクーポン券やチケットのようなものがクレジットカードだったのでした。
1963年に日本ダイナースがカードの発行を開始しましたが、実はこのカードは紙製ではなく、プラスチック製のカードでした。このカードの形態は、本部であるアメリカの許可をとって、開発、発行されたものでした。前述の通り、クレジットカードは紙製というのが常識でしたから、プラスチックのクレジットカードを導入したのは、日本のダイナースが世界初だったのです。
アメリカのダイナースが許可したことによって、日本の発行したプラスチック型のクレジットカードは、世界に広がっていきました。