筆者は大学院で文学研究科に所属していました。
大学院の講義は少数人数でした。口頭で話される各指導教授の情報を紙に手書きで真剣に1枚1枚書き溜めていました。
中には滅多に耳にすることのない専門知識や情報も耳に飛び込んできてすごく刺激的な経験もしました。
古典や辞書・辞典などを基に指定された範囲のレポートも調べて手書きで作成しました。
大学教授は歩く辞書でもあり、さまざまな学習と経験を基に判断して導いていくスーパーコンピューターのようでもあります。
仮名書の一字の読み違いを指摘してその都度正したり、古語一語の誤りを古語大辞典で正していったりこつこつと地道な研究作業をすることもありました。
指定された範囲の講義準備用の研究課題レポート・資料をPCで作成したりもしました。
それが共同研究室で指導教授とともに一文字一語一句で読み合わせをこつこつしていくので最後は指導教授の指摘・指導によって見事に清書化されていきます。
筆者は大学3年から4年生になるまで書店の社会科学書担当で働いていました。
このアルバイトの接客、発注、在庫確認、在庫の棚番号のデータ入力などによって筆者は飛躍的にパソコンのブラインドタッチが高速化されました。
古文書はデジタル画像データのSDHCメモリーカードで渡されました。
真作を傷つけることなくパソコンで古文書の古語文章をPCで限りなくミスの出ないように慎重にキーボードで打ち込んでいく工程も非常に刺激的でした。
他にも日本に書き残されている古辞書資料を研究室で読み込んで指定された範囲を手書きのレポートにして提出することもしました。文字学についても日本の出版社の複数の辞書を引いてまとめたレポートも作成しました。
大学院に所属していたのはほぼ2年間でしたが文章・レポート・取材のペーパー1枚1枚を慎重に正確にミスなく作成・提出・保管する作業が次第にできてきている実感がありました。
手書きで作成する1枚1枚の地道なこつこつとした積み重ねや推敲作業もとても大切です。
ただ、独自の意見・オリジナリティのある内容も必要になってきます。
オリジナルのものを生み出すことも積み重ねていって、文章を推敲に推敲を重ねていき、
中・長期的には洗練された書類・レポート作成ができるようになっていくことも大事なことではないかと考えます。
そう考えて筆者の経験を振り返ってみると大学に所属した時期もいろんなかたちで身で覚えるルーティーンみたいなものが形成された・養われた気がしています。